仏教遺跡を訪ねた旅です。
2013年11月20日~25日 旅物語コース番号:S9556E
参加人数:7名(To夫妻、Ko氏、Se氏、Su氏、Ma氏、Sa)、添乗員なし
KANDY・TOPAZ HOTELにて 現地ガイド:ニュートンさん
インターネット申し込み:2013年8月8日
書類申請:2013年8月12日
旅行費用合計:約123,130円
内訳
旅行代金:109,800円
成田空港施設使用料:2,540円
現地空港諸税:4,300円
スリランカビザ申請2013年9月20日:$30(2012年1月1日から)
スリランカビザ インターネット申請
海外旅行保険(三井住友海上火災)補償3,000万円リピーター割引:3,490円
(70才以上のリピーター割引:申込日が2015年1月31日まで)
USAパーキング:3,050円(6日間)
高速道路代:往復6,100円(中央高速道600円×2、首都高速900円×2、東関東道1,550円×2)
ガソリン代:5,446円(往復)
両替:10,000円=12,590Rs.(スリランカ・ルピー)2013年11月21日現在
(100Rs≒ 80円)
日本からのフライト時間:約9時間
スリランカとの時差:3時間30分
e チケット
スリランカの気候:熱帯性モンスーン
キャンディの11月:約300㎜雨季、気温28~20度
コロンボの11月:約410㎜雨季、気温30~23度
(東京の11月:約58㎜、気温22~10度)
正式国名:スリランカ民主社会主義共和国
国旗
剣を持つ獅子はシンハラ王朝以来の国の象徴。
四隅の菩提樹の葉は仏教、
サフラン色はヒンズー教又はタミル人、
緑はイスラム教又はムーア人を表わし、
民族の融和を象徴する。
国名スリランカは「光り輝く島」を意味します。1972年に改称。
旧名セイロンは、Sea Landに由来します。
1948年2月4日イギリス連邦セイロン自治領として独立しました。
スリランカは「インド洋の真珠」と呼ばれています。
スリランカの地図
首都:Sri Jayewardenpura[Kotte]
(1985年、コロンボから13kmの街に遷都)
元首:マヒンダ・ラージャパクサ大統領
北海道の約8割の面積(65,607k㎡)
最高峰:ピドゥルタラガーラ山2524m
人口約2063万人(2010年)
民族構成:シンハラ人約73%、タミル人約18%、ムーア人約8%
宗教:仏教70%、キリスト教11.3%、ヒンドゥー教10%、イスラム教8.5%
公用言語:シンハラ語、タミル語
表示言語:シンハラ語、タミル語、英語
シンハラ語で「さいとう たつお」は、下記になります。
スリランカの新聞
挨拶
AYUBOWAN(アーユーボワン)ආයුබෝවන් (āyubōvan)
「こんにちは、さよなら」として「長生きしてください」の意味の挨拶
フルムーン・ポヤ・デー
満月の日は休日、寺院に参拝、アルコール類はご法度。
食事
1日3食カリーが基本、主食はご飯、米麺、ホッパーなど。
電圧・プラグ
230V・240V B,Cタイププラグ
スリランカの携帯会社
次の携帯電話会社の看板を街路で多く見かけた。
Mobitel (Sri Lanka Telecom)
Dialog (インド系 )
Hutch (香港系)
Airtel (インド系 )
Etisalat (UAE)
宝石
ツアーのルートに宝石店訪問があった。
スリランカはダイヤモンド以外の宝石が産出するらしい。
スリランカを代表する宝石はブルーサファイヤだが高価である。
故ダイアナ妃が婚約指輪として身に付けていたとのこと。
ブルートパーズもきれいで手頃の価格と思えた。
紅茶
ツアーのルートの一つに紅茶店訪問もあった。
セイロンティーとして有名。
日本で売られている紅茶はほとんどスリランカからお茶の葉を
イギリスに運んでブレンドしたものという。
スリランカでは1年中お茶の葉が収穫できるので
お茶の製造日と賞味期間を表示するようになっているという。
そのためスリランカで新鮮なブレンドされていない紅茶を飲むと
香りや味があってとても良い。
製造日と賞味期間
スリランカの平均賃金
ガイドさんにスリランカの平均賃金について聞いたところ約4~5万円と答えた。
JETROの各国・地域の平均賃金(2010年)を見ると
スリランカの平均賃金・基本給月額は下記のようであった。
製造業・作業員:$102 (参考横浜市$2965)
製造業・エンジニア:$280 (参考横浜市$4209)
製造業・マネージャ:$627 (参考横浜市$5395)
非製造業・スタッフ:$232 (参考横浜市$2940)
非製造業・マネージャ:$828 (参考横浜市$5753)
スリランカとベトナムはほぼ同じ、日本よりオーストラリアが一番高い。
スリランカの教育
スリランカの識字率は94.2%(82番目)で、
これは他の第三世界の国々と比べて極めて高い数字である。
識字率:日本99.0%(23番)、キューバ99.9%(1番)、 マリ26.2%(183番)
初等・中等教育:グレード1(5歳~6歳)~グレード13(17歳~18歳) 9年間無料
高等教育:(18歳~)国立大学無料
職業教育:全国職業資格認定システム(レベル1~7までの7段階)
アダムスブリッジ(Adam's Brige)・ラーマの橋
インドとスリランカの間のポーク海峡にある石灰岩と砂州と浅瀬の連なりで、
7つの小島が橋脚のように点在します。
長さ48km、水深1m~10m、干潮時に浅瀬になります。
1480年のサイクロンで壊される前は歩いて渡れたと言います。
インドとスリランカ間で兵隊や動物、文化等が移動しました。
Adam's Brige
タミル・イーラム解放のトラ
Liberation Tiger of Tamil Eelam、LTTE
スリランカ北部と東部にタミル族の独立国家タミル・イーラムを建国し、
スリランカからの分離独立の獲得を主張して設立された。
30数年間、奇襲作戦やゲリラ攻撃を得意とした武装闘争。
無差別テロの激化、自爆テロで多くの要人を殺害した。
世界文化遺産の仏歯寺も一部爆破された。
2009年5月19日、LTTEリーダーであるヴェルピライ・プラブハカランの遺体が発見される。
ラジャパクサ大統領は内戦終結を宣言する。
プラブハカランを始めとするLTTEの幹部23名は戦闘により全員死亡した。
その後、戦闘はない。
しかし内戦が生んだ青少年の心の闇を解決するための道のりは遠く険しい。
(ウイキペディアより抜粋)
現在、スリランカでは民族間の問題が絶えないが、穏やかな表情で旅人を迎えてくれる。
日本の戦後処理で分割統治という危機を助けてくれた国
スリランカ
第二次世界大戦直後
ドイツが東西に分割統治されたように、
日本も4つに分割統治する計画があった。
第二次世界大戦の戦後処理であるサンフランシスコ講和条約(1952年 4月28日発効)において
ドイツは分割されましたが、日本が分割統治されずにすんだのは、
スリランカの国連代表ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(のちにスリランカの首相、大統領を務めた)の演説の影響が大きかったそうです。
Junius_Richard_Jayawardana(1906-1996)
「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により片目は日本に贈られた。
スリランカは、サンフランシスコ講和条約において、我が国に課された
戦後賠償を他国に先駆けて自発的に放棄し、
日本に平和や自由を与えることは許さない、国を分割して統治すべきなどの
敵意や憎しみ、そして軍国日本に対する恐怖から、さまざまな議論・意見がなされていた中で
ジャヤワルダナ氏は仏陀の言葉を引用し、次のように演説しました。
「何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのか。
それは我々の永年に亘る係わり合いがある故であり、
アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故です。
『共存共栄』のスローガンが、ビルマ、インドなどアジア諸国に大きな希望を
与えてくれたのも日本でした。
我々は損害賠償を要求しようとは思いません。
我々はブッダの言葉を信じているからです。
仏陀のメッセージ、
「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ慈愛によってのみ止む」、
その人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、
インドネシアそして、セイロン(スリランカ)へ伝わり、ヒマラヤを通ってチベット、
支那 (中国)そして最後に日本へ伝わりました。
これが我々を数百年の間、共通の文化と伝統で結び付けているのです。
ここを訪れる途中日本を訪問しましたが、
人々の中に、それが息づいているのを感じました。
我々は日本人に機会を与えなければいけません。
私達は日本に友情の手を差し伸べます。
今日、この人類の戦争の歴史に終止符を打ち、
新しい明日へ向かって新たなページが開かれました。
日本の人々と私達とで、平和と繁栄の中で人間の尊厳と喜びを持って生き、
ともに歩むことを信じています。」
当時、スリランカは英連邦の自治領セイロンでした。
弱い一国のしかも大臣という立場でこの演説を行ったのは、
彼個人の正道と慈愛の心があったからでしょう。
(彼はキリスト教から仏教に改宗した法律家です。)
この演説が、厳しい立場にあった日本を国際復帰へと導く大きな力になって
各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作りました。
サンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に
日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。
(西村雅宏氏およびウイキペディアから引用抜粋しました。)
スリランカの世界遺産
1.聖地アヌダープラ 1982年登録 シンハラ人の王都
2.古都ポロンナルワ 1982年登録 中世の古都
3.古都シギリヤ 1982年登録 カッサパ王の都市遺跡
4.聖地キャンディ 1998年登録 ウダラタ王国の王都、仏歯
5.ゴール旧市街とその要塞群 1988年登録 城塞都市
6.ダンブッラの黄金寺院 1991年登録 石窟寺
7.シンハラジャ森林保護区 1988年登録 ユネスコの生物圏保護区
8.スリランカの中央高地 2010年登録 保護区、国立公園、保護森林
2013年11月20日(木曜)
Ma氏の車で10:30昭島出発、青梅、日の出、秋川11:30を廻り3人をピックアップしてもらう。
最近開通したあきる野・八王子バイパスを通り、八王子ICから中央道で新宿へ、
平成22年3月28日に開通した中央環状線の山手トンネルを走行し地下36mから
首都高速3号渋谷線の地上35mに、
高低差71mをループ状の道路で結んでいる大橋ジ ャンクションを初めて走行した。
乗っていると何周回ったのか、方向も分からなくなる。
湾岸線から東関東道を通り、成田のUSAパーキングに到着。
集合場所の成田空港第一ターミナル4階北ウイングに15:00到着。
成田17:00発(大韓航空KE002便)ソウル(仁川)着19:50
ソウル(仁川)22:40発(大韓航空KE473便)コロンボ着04:10
仁川空港 大韓航空KE002便 A330-300
Inchon Airport Power Point
乗り継ぎ時間:約3時間
エピソード
航空機内の飲料サービスで韓国製缶ビールがあったので、
「Korian Beer」と言ったつもりが、発音が悪かったせいで
「コーラとビール」が出てきた。
かつてイギリスで「Tea without milk」と言ったらミルクの多い白色の紅茶が出てきたので
再度「Tea without milk」と言ったら milkだけ持ってきた。
「ミルクアレルギーのため milkは要らない」と言ったら
ウエイターはその場で milkをごくごくと飲んで行ってしまったことがあった。