2013年11月26日火曜日

2013年11月22日(金曜) シーギリヤロック観光、ポロンナルワ観光

2013年11月22日(金曜)晴

朝起きると晴れていた。
青空に小鳥の鳴き声が聞こえてくる。

雨季のスリランカに来たので、雨降る中を傘をさし雨具を着て30度の蒸し暑い中を歩いて観光をすると覚悟していたのに、快晴で気温も快適でラッキーと思った。

シーギリヤ(Sigiria)
謎の美女壁画を残す伝説の岩山

ジャングルの中に突如として垂直な赤褐色の岩山が現れる。
この岩山は、火口の溶岩が残ったものらしい。
この岩山に王宮を建てて11年間住んだ王がいた。

父を殺し、王座に就いたアヌラーダプラのカーシャパ王(在位477~495)は、
異母弟の復讐を恐れて、この岩山の上に難攻不落の王宮を造った。
切り立った岩肌をよじ登るように登りきると王宮がある。
しかし王位就任から18年後、インドから戦いを挑んできた異母弟・モッガラーナに敗れ自害した。

弟・モッガラーナはシーギリアの王宮を仏教僧に寄進し首都をアヌラーダプラに戻した。
その後シーギリアは埋没していった。

カーシャパ王が死んで1400年後、イギリス植民地時代1875年にイギリス人が岩山を
望遠鏡で眺めていたとき、岩山の中腹に鮮やかな色彩を見つけ、
「シーギリア・レディ」というスリランカを代表する芸術品・壁画を発見した。

シーギリア・ロック(Sigiria Rock)
岩山の高低差180m

壁画は断崖絶壁の中腹にある

シーギリアロック観光動画(Ma氏撮影を約11分に再編集)
 
シーギリア・レディ(Sigiria Lady)
美女のフレスコ画(Frescoes-Sogiria Maiden)
最も保存状態が良い壁画の一つ
 



壁画は漆喰に描かれている。
漆喰は石灰、砂、蜂蜜、それに蟻防止のため蟻塚の土を少し混ぜて作った。
 




壁画のある洞窟には19名の女性(天使と言われている)のフレスコ画が残っている。
 
壁画の前で記念撮影

 壁画のところからの展望
中央通路は遺跡公園、はるか彼方に白い巨大な仏像が見える。周りはすべてジャングル。
中央入口右側に日本政府の援助でできたシーギリア博物館がある。

 ミラーウオールの内側通路

岩山に取り付けられた金属を打ち込み板を渡した通路と
その上がミラーウオール(鏡の回廊)高さ3m、
煉瓦を芯に漆喰を塗り磨き上げ鏡のような壁

ライオンの入口(Lion Terrace)
シーギリアの語源になった「ライオンの喉」から頂上へ登る。
シンハラ語で「シンハ(ライオン)と「ギリア(喉)」の合成語である。
 
巨大なライオンの足だけ残っているがかつては全身像であった。
ライオンの入口の階段を上りきると頂上の王宮跡に着く。
高所恐怖症の方が居ておっかなびっくり上り下りをしていた。
 

王宮跡(Royal Place)
頂上の面積は約1.6ヘクタール、王宮、兵舎、住居、ダンスステージ、王のプール等の跡が見られる。
王宮跡で記念撮影

 王宮跡からの展望

 王のプール  王宮跡からの展望(周りがジャングル)

 王宮跡
 
 玉座などあった

周りはすべてジャングル
 
カメレオン(Chamaeleonidae)

カメレオン(Ma氏撮影)約70秒
 
王宮跡にカメレオン(Chamaeleonidae)がたくさん住んでいた。

蛇もいた。(Su氏撮影) この蛇はコブラ科とガイドはいう・・?

 
 
シーギリア遺跡群の周辺は、城壁とワニのいたで囲まれていた。
堀にいたカワセミ(Ma氏撮影)
 
蓮の水路や噴水のある水の広場、石窟寺院、アサナ礼拝堂、会議場、説教の岩場、瞑想の場、謁見場、エレファントロック、コブラの岩、投石機等の遺跡が見られた。

水路にあった噴水 石に5個の穴があいている。9個の穴の噴水もあった。
 
シーギリアからポロンナルワに行く途中で大きなトカゲに餌をやっているのを見せて
チップ50Rpをもらっている人がいた。



ポロンナルワ(Polonnaruwa)
10~12世シンハラ王朝の中心地、仏教都市として繁栄した。
貯水湖パラークラマ・サムドラの西側、南北約2km、東西1kmの城壁に囲まれている。
10世紀末、インドのチョーラ王朝がシンハラ王朝の首都アヌラーダプラを征服したので、
シンハラ王朝はやむなく首都をポロンナルワに移した。
13世紀、インドのチョーラ王朝の侵略によりシンハラ王朝は中央部へ退いていった。
その後、ポロンナルワは廃都になりジャングルに埋もれていった。
1900年以降遺跡の発掘が始まった。

貯水湖パラークラマ・サムドラ(Parakrama Samudra)
乾燥地帯に造った農業生産力を引き上げるための灌漑施設
貯水湖パラークラマ・サムドラ(北東側)
 
貯水湖パラークラマ・サムドラ(南東側)

 王パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡
かつて幅13m、奥行き31m、7階建てで1千の部屋があったが
現在3階の壁までしか残っていない。

 王パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡
壁の一部が白壁になっている。
壁の厚さ3m、36本の柱、部屋数50
壁の空洞部分は床柱を通した跡
 
壁で仕切られた小さな部屋がたくさんあり、その中に台所や風呂、水洗トイレがあった。

王の謁見室
象の姿、蛇、空想の唐獅子、石柱

 王の謁見室への入口
空想の唐獅子、ハーフムーンストーン、石柱
 
 王の謁見室 ハーフムーンストーン(輪廻を表す)

 王の謁見室 空想の唐獅子

王の謁見室 石柱

 巨大な石の本・ガルボタ
長さ9m、幅1.5m、厚さ約45cm、周辺関係国のことが記されている。 
 
 
巨大な石の本・ガルボタ 王への賞賛の言葉も掘られている。

サットマハル・プラサーダ
7階建ての塔、タイから来た建築士が建てたものといわれている。
 
 ハタダーゲー入口のガードストーン(石仏像)
12世紀建立、仏歯寺跡
 
ハタダーゲー内の三体の仏像

ワトナギリ・ワタダーゲー
一番大きく目立つ円形の仏塔

ワトナギリ・ワタダーゲー入口のガードストーンと中央部の仏像(北側)
ムーンストーンは仏教でいう輪廻を表す。
仏塔に入るには裸足になる。
 
ワトナギリ・ワタダーゲーの入口の石仏像と中央部の仏像(南側)
 
ワトナギリ・ワタダーゲーの仏像

アタダーゲー シンハラ王朝最初の仏歯寺跡
11世紀に建立、五四本の石柱の上に木造建築があり仏歯が祀られていた。
仏教を国教とする歴代のシンハラ王は「仏歯の管理人」として政治を行い、
仏歯寺は王権の後ろ盾になる最も重要な寺院であった。
 
トゥーパーラーマ
 
トゥーパーラーマ
明るいところから急に暗闇に入ったので白い仏像がぼんやり見えた。
明かりを点けてもらったら左右に三体ずつ仏像があった。
 
トゥーパーラーマ 
天井部分や横窓から採光している。
目が暗闇に慣れてくると仏像が神秘的に見えた。
 
 
ガル・ヴィハーラ(Gal Vihara)の涅槃像、坐像、立像
ポロンナルワ遺跡の大傑作の3石仏
坐像 (高さ4.6m)
 
涅槃像、立像
 
坐像 
石窟内のブッタ
 
立像 (高さ7m)  
仏陀の一番弟子アーナンダの姿だという。
 
涅槃像 (全長14m)
涅槃像特有の左右の足が前後にずれている。
あまり大きいので後ろの岩山に登り遠くから撮影した。
 
ホテルに戻る途中で昼食
 
 ライオンビール 400Rp

昼食

昼食後、国道A11号線の傍にあるミネリア・ジリテール自然保護区
(Minneriya-Giritail Sanctuary)で野生の象をバスの中から見ることができた。

 
野生の象(Ma氏撮影、約53秒)

そして、シーギリアロックの傍を通りHotel Eden Gardenに戻った。
中あちこちに貯水池があった。

Hotel Eden Gardenで夕食
 
Hotel Eden Gardenの部屋でニュートンさんと飲み会




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